先は・・・ [高校編(進行中)]
チビ旦那には夢は大きく、目標高くを心情に
機会ある度、あらゆる角度から攻め、
少しづつ脳にインプットさせているつもりだが、、
「オレさ・・・。オレの同級生って金持ち多いんよ、。
だから、ついて行けないとこある。
お年玉なんかも凄いんやで・・・
オレなんて福岡に親戚おらんからホンマ少ないよな~。」
「まぁ、そうやわな・・・
でも、子供の時に金銭感覚マヒしたら大人になって自分が苦しいだけだよっ。
ママでもお金持ちの時あったケド、今貧乏しているけどアンタの為には
とても良い環境だと思ってるよ~(^^:
あほボンになったら大人になって○○みたいになるよ~。
{使うことは一人前で稼ぐこと知らん}、男は甲斐性やで^^
どうしたら良いのか自分で考えれるからお金持ちになれるんや。
気にするな^^本当の勝負は、大人になってからや(^。^)」
「でも、さ~。イイよな・・・(--)」
「あほ!ママが、お金もないのに無理して今の学校入れたのは
アンタに今みたいな気持ちになってハングリー精神を養うためでもあるわけ!
私立でも塾代までくれる学校もあるんやで、。
でも、周りの殆どの子は遊び呆けている子が多くて楽しそうで・・・
そんな中で勉強しないといけないのは辛いと思ったから、今の学校を選んだんだよっ。
クダラナイことなんか気にしないで良い
今、シッカリ勉強しないと○○大学なんて無理だよ!
ママは節約節約で自分のものなんて買わなくても
無理して通わせているんだから元くらい取ってよっ!
高校受験失敗したのも自分が原因なんだから、高校でハジケるのは許さないからね!
私立は校則も厳しくて自由なんてあると思うな!軍隊入ったようなもんなんだからねっ。
中学校の時から言ってたはずや。
ハジケルのなら目標大学入ってハジケなさい!
ガールフレンドだって○○大学行けば、いくらでもできるわ」
「・・・分かってるけど、。」
「ママが、アンタに今言っていることはアンタのためや。
ママが得することなんて何もないんやで。
アンタが後で後悔するのが見え見えだから言ってるんや。
{あの時、もっと勉強しとけば良かった}ってね。
ママは、アンタに貢ぐだけ貢いで
どうせ、アンタの嫁サンになる子に取られるんやから。
アンタが偉くなってもお金持ちになったとしても
ママが得することなんて何もないんよ~。分かる?」
「ぅ・・・うん。
まぁ・・・勉強はするけど。オレ○○大学入りたいし・・・」
「分かれば良い^^;やるしかないやろ~www」
・・・・・そうやわな。
可愛い息子もいずれは巣立つ。
子供は父親がいようがいまいが、所詮母親の作品。
でも・・・
取られるなんて言葉・・・自分でもビックリしたな~^^;
寂しいけれど、、、メデタク大学入ったら子離れしなくちゃ
あと6~7年はメチャお金がいるな・・・
お金がナイからなんて言い訳はしたくない、、、踏ん張らねば・・・
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また地震(・・;) [小学校編]
妊娠していた時の阪神大震災のことを書き込んだが・・・
私、 二度目は福岡・・・(一_一)
地震があった日は、学校の体育館で寝た。
確か午前11時前、 福岡県西方沖地震のあった日。
ここの地域ではないと思われていた地震であった。
まぁ阪神大震災もそのようであったのだが(苦笑
私の住んでいるあたりは震度4~5弱だったと思う。
その時、私は仕事中でビルの7階で電話中であった。
電話の営業の仕事をしていた頃だ。
ゆっくりな横揺れ、、、。
ディスクの上のパソコンは落ち、 ロッカーやツイタテも倒れた。
とても長く感じた。 悲鳴を上げる人もいた。
私は、長野のお客さんと話していて商談がヤマ場だったので
冷静を装いながら最後まで受話器を持ったまま机の下に潜り込み・・・
話を決めた(苦笑。
なんせ、親子3人、生活するのに必死なんだから
少々のことで、うろたえているようでは生活なんてできないのだ
我ながら・・・シブトサに笑いが出る^^;
電話を切った時は、地震は終わっていた
普段、気の強い同僚が震えていた
ともかくビルを出ようと階段を使い、一階まで下った。
非常階段は人、人、人。
ビル入り口は、地面にヒビが(・・)
隣の部屋では倒れてきたロッカーで怪我した人も
突然、このような状態になった時、 人は本能的に生命の危険を感じ
日頃の悩みが とても、とてもチッポケに思い、
宗教言葉でいう”生かされている”と感じる。
すぐに、チビ旦那と母のことが心配になった。
3人が3人とも別々の場所にいたわけだから
小学校は都心のド真ん中で自宅のすぐ側。
いざの避難場所にもなる。 もちろん、携帯電話はパンク状態で通じない。
職場は、自転車で5分の所にあったので
すぐに震えが止まらない同僚を自転車の後ろに乗せ、小学校に向った。
(彼女は自宅が遠方だったので)
街はビルから出てきた人で、ごった返していた(・・;)
通いなれた歩道は、所々亀裂や、めくれ上がった所が(@_@;)
小学校には、もう沢山の人が集っていた。
そには母の姿(^・^)。チビ旦那ともすぐに会え、家族の無事を確認^_^;
家の中は、思っていたほどの被害はなく テレビと置物が壊れた程度。
でも、揺れた方向の違いか、耐震性なのか、
足の踏み場もないくらいの被害の家もあったようだった
さすがに、その日は自宅で休む気もせず
小学校の体育館で眠れぬ夜を過ごした。
マット二つに三世帯、。気づけば皆、母子家庭(T_T)
やはり日頃強がっていても、イザの時のオンナ世帯は 不安を隠せない
次の日は、開き直って自宅に帰ったが、 時々余震もあり
一ヶ月くらいは正直、不安であった。
今は、
いつの間にか玄関先においていた非難用リュックも無い。
近所の古い建物で被害があった建物は、 コインパーキングに様変わりしている。
日本は地震大国だ。
どこで起きてもおかしくない、。 どこに居ても同じこと。
今、私の住む所も大きな活断層が真下にあるらしいから、
これがきたら阪神大震災と同じく直下型らしい。
震度7は、まぬがれないという。
直下型は立て揺れになるらしいからまず、立って歩けないらしい。
天災、人災、不治の病、いつ自分に降りかかるか分からない。
でも、人間は天災の前では運を天に任すしかない。
だから、毎日を後悔しないように懸命に生きないといけない。
或る程度のスパンを決めて(目標)生きるのも大事であるが、
まずは、今日一日家族の健康を願い、今日の出会いを大切にしたいと思う。
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思うこと [ひとりごと]
なぜ、自分だけが・・・
なぜ、いつまでもドンドン新しい問題が目の前に現れて、、、こんなに苦しい?
こんなに、、、こんなに頑張っているのに・・・・。
なぜ、友は先に死に逝く?
私をおいて・・・・・
これ以上、何を信じて頑張れというのか・・・。
「頑張っれ」という言葉さえ嫌いになった・・・
精一杯、頑張っている人間に「頑張れ」はないだろ?
無神経ではないか?
所詮、人ごとか?
そんな言葉は精一杯の人間には通用しないよ・・・
余裕あるから言えるんだ・・・
冷たい響き・・・「頑張れ」、、は。
本当の辛さしらないから言えるんだよ・・・それか他人事なのか・・・。
そう思った時から、人にも「頑張れ」とは言わなくなった、「踏ん張れ」である。
私が10年前まで、いつも思っていたことです。
それは或る日、突然気づきます。
自分にかせられれた人生の意味。
誰にでも必ずあります。
その謎が解けた時、人間は本来の姿を観せます。
楽が人を育てるのではなく
達成した時、追い詰められた時に本来の自分を思い出すのだと感じました。
辛い時は真剣に話を聞いてくれる人がいれば幸せです、
でも、
本当に話を聞いてくれる人は真剣ですから耳の痛いことも言います。
でも、
それでも何となくでも、その人が好きであれば自分にとって必要な人なのです。
流行言葉でのソウルパートナーってこういう人のことだと私は思っています。
だから、
ソウルパートナーは自分にとって辛い仕打ちをすることだってあります。
お互いを高めるためですから・・・っと私は思っています。
それは、
今、流行りのスピチュアル?とか、そんな次元の低いものではない気がします。
愛がないと人は救われない・・・誰もがです。
いくら傍から見てとんでもない人でも
目を見、話をすると良い所や可愛そうな背景が見えてきます・・・。
皆それなりに精一杯なんです。
余裕がなく気づかないだけ・・・。
迷ったと感じたら、本当は自分自身を冷静に客観的に見ないといけないと思います。
良い事も良くない事も・・・
そしたらこれまでと違う角度から自分が見れる。
無力な自分を知ることで、自分の強さも見えてくるのです。
本来の自分が見えてくるのです。
さまざまな執着が自分を追い詰めるのが観えてきます。
短所は長所。
弱点も武器になるのです。
何も私は自分が特別なんて思ってないですよ・・・
ちょっとだけソレに早く気づいたから生きるのが楽になって
皆にもその方法を知らせたいだけなんです。
踏ん張れ~~~
きっと、なんかの拍子に突然楽になるから。。。
それにポジティブな心は毎日を有意義にしてくれます。
人間と生まれた以上大差はない・・・と私は思うのです。
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ホッと一息^^ [ひとりごと]
明日は、チビ旦那の学校が入試らしく
ガッコー休み(^。^)
朝早くの弁当も、作らなくても良いし、
いつもよりユックリ休める^_^;
仕事で起きることよりも朝の補習授業や弁当作りのほうが
なんだかキツイ気がするのは何故?
ココのブログも使い方、今ひとつ、まだ分かっていないけど、
大雑把な私は、更新できればイイかな?(^^ゞ状態で
取りあえず目安で{人気ブログ}なるものにも登録してみた(苦笑
今の所、マメに更新はできてるなwww
PCって本当に便利(^。^)
私が、将来オバーちゃんの一人暮らしをしていたとしても、
もしも、外国に居たとしても
多分、目の前にはPCがあり、HPを更新したり
ブログを更新したり・・・スカイプやチャットなんかで
誰彼と絡んでいるんだと思うと・・・楽しい気がする(^^ゞ
勿論、近場のリアルな友人もおり、
顔が見えなくても互いに理解する人もおり・・・
真を求めれば真もあり、愚を求めれば愚もあり・・・
何も、それらはPCに限ったことではない事など、これだけPCが浸透した今は、
誰もが少しは理解できることだ。
どんな人間と出会うにもキッカケはあるのだから・・・
確かに見る目や判断力は必要かも知れないが、
リアルに会った人々の方が、正解なんて神話は、、、今の世には、もうないと感じる。
確かに妄想・空想・虚言壁の人間も多いのも事実だけれど、、(苦笑
でも・・・
満更、考えようによっては
PCの世界も捨てたもんでもないことも私は知ってる(*^。^*)
傷の舐めあいよりも互いに踏ん張りあえればイイかな・・・なんて
考えながら書き込んではいるけれど、
だいたい、形違っても元々人間の感情の大差なんてないと考えてる。
所詮、類は友を呼ぶ・・・かな^_^;
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仕事のキッカケ(2) [保険の勉強]
「どんなお仕事をお探しでしたか?」
「考えていません、っというよりも分かりません。」
↑
わざわざ、罠にはまりに行くような事を言ってる(爆笑)
返答を間違っていた、、、だが
会社勤めなどしたことがないのでこれも本当のことなのである。
ドンドン網にかかっていく(笑)
初めは自分のことも遠慮がちに言っていたが
何だか全然知らない人に繕いながら話すのも馬鹿らしくなってきて
本当のことを伝えた上で
京都では知り合いが一人しかいないこと、だから保険なんてとんでもないと言った。
それに、
私の知り合いで保険で成功した人を見たこともないし、
知り合いから保険を取るというイメージだったので
知り合いなどを当てにする仕事は、仕事ではないと思っていたからだ。
「知り合いなんていなくても大丈夫なんですよ。
会社訪問、既契約の方からの更新などから契約は取れます。
本気で稼ぎたいのなら所長になって稼ぐこともできます。
私も母子家庭で2人の子供を育てながら今では年収1000万はあるんですよ。」
私は年収1000万と聞いて驚いたが、それはどうも本当のようである(+o+)
「私がご指導しますので。それに子供さんに合わせて仕事もできますよ。
それに、どうしても嫌なら研修期間の3ヶ月が終われば辞めてもいいですよ。」
いくら商売でやり手であったとはいえ、或る意味私は井の中の蛙で世間知らず、、、
段々甘い言葉に心が揺らいで・・・
”確かに京都に根を下ろすのなら女性ばがりの保険の業界なら子供の学校のことや
諸々の様子は分かる、、、それに3ヶ月で辞めてもいい?
その間に家も落ち着くし、自由な時間も取れるから次の仕事だって探せる”
・・・・
気づけば私は支社に向かうタクシーの中であった。
そこには、女支部長と男性課長がいて3対1。
あれよあれよという間に入社研修の約束の話までし、
帰り道の分からない私を派手なやり手所長が、タクシーで家まで送ってくれた。
かくして私の生まれて初めての会社勤めが始まった。
元来、真面目な私は保険の知識、企業への訪問の仕方など一から覚え、
気づけば半年後はエリート街道の選抜生に選ばれ
保険に関しての英才教育みたいなものを教えられた。
だが、私にすれば知識も必要であるが営業という仕事は、
最終的には誠意と真心が伝わらないとダメである。
この辺は長年の商売での経験で、もう私は身に付いているのだ。
そのうち全国1年未満入社7~8000人の中の10位以内に入ることも(苦笑)
勿論、知り合いからの契約など1件もない。
知らないうちに支社でも期待のホープになってしまっていた(笑)
男性幹部は先の所長を経て支部長を期待していたが、、、
私には更々そのような気持ちはなかった(爆笑)
それよりも・・・・
時々その様子を見て、ヤキモチを妬くやり手派手所長に気を使う羽目に、、。
人の心の怖いこと(汗っ)
福岡に引越しの時は退社するつもりが、生保では珍しい転勤。
私自身は保険でこの先ズッとやって行く気もなく、
ましてや基盤もなくなるワケであるから辞めたかったが、
何せ引越しするには無職では家も借りれない、。仕方がなかった。
だが、転勤しても半年で辞めて良いとのことであったので深く考えていなかった。
そして約束通り半年勤めて退社した。
国家試験のファイナンシャル・プランナーの資格は、この時でなく
後の仕事の絡みで取得した(^^ゞ
その後の仕事も色んな営業で生計をたてていたが、本当に様々な会社があるもので、。
営業自体は、どれも私にすればそんなに難しいことではなく、
退職の理由は詐欺まがいの会社(商品)と分かった時や、
余りにも入社時との条件の違い、
会社の倒産や不況による部署の縮小、歩合の減少など。
肩書きをチラつかせ餌とする上司の話などにも全く興味もなかった。
自分の先を見据えての行動なので辞めるにあたっても躊躇することもなく、
新しい職場で未経験の仕事に関してはむしろ面白がっていた。
お陰様で行く先々の職場では友人もでき、先は手伝うと言ってくれる人も^_^;
でも今では、何よりも当初の目的の色んな会社を見て
勉強することも余りなくなってきたのだ。
やはり私は、小さいながらも私自身がやるのが向いている気がする。
そこうする間に、これから始めるのだからスタートするには精神的、肉体的にも
タイムリミットかな、、、と。
勿論生活のこともあるが、何せ私には最終的には大きな目的があるのだ。
今ここでは言えないがこれは奉仕、ボランティアの世界であるから、
これには社会的信用とかなりの資金がいるのだ。
まずは、自分にそれなりの力がないと成し得ないことなのである。
本来の自分であれば、3年もあれば少なくとも立ち直っていた。
それがスタートラインであれ、目処をつけ前を見据え努力する。
これが出来なかったのだ、、。
子育てのことが一番の原因ではあるが、
元々は子供の将来の為に私の人生を180度変えようと渡米したのだから
子供を等閑にし、仕事に打ち込むことは私の中では許せなかった。
それであるならば、若い頃からの信用を捨て渡米した意味すらなくなる。。。
だが、人間誰もが無駄な経験なんて何一つないのである。
。。。そんなこんなで、試行錯誤しながら毎月スリルとサスペンスの生計で
今も踏ん張っている次第デス(^^ゞ
ポチっと、宜しく^^ ↓
計画 [高校編(進行中)]
春休みにアメリカへ
プチ留学することになったチビ旦那^_^;
駄目もとで、
チビ旦那の従妹の通うアメリカのハイスクールへ
見学したいので、一緒に同伴通学しても良いか?交渉してもらった。
同い年のニーナは、普通のハイスクール。
吹奏楽部で沢山の友人もいて毎日忙しくエンジョィしている様子。
一つ下のシエナは、医者になりたいと選抜の試験を受け
州立の学校へ中学から通っている。
どちらかというとエリート意識の強いガリ勉タイプの子が多い?
一定のレベルの子供たちが集まっている学校。
通っている子供の雰囲気も全く違うらしい、
勿論、一つ違いといえ、学力の差もあるようで・・・
チビ旦那は、これまた二人の学校と比べると
中間みたな学校で・・・、おまけに男子校。
アメリカの子は大人っぽく派手だし、服装なども全くの自由なので、。
刺激的だろうな~^_^;
まして従妹が女の子なので、、、ちと可哀想な気もするけど、
圧倒されっぱなしだろうな~
従妹たちは皆、再会を楽しみにしているようだが(*^^)
・・・そんな、こんな、を考えながら駄目もとで、
二人が通う学校に交渉してもらったのだ。
アメリカは、懐が深いというか、大らかというか、、日本と違うな~
二校ともOKが出た(^・^)
3週間滞在の間、1週間づつ一緒に通う。
最後の1週間は二人も春休み。
三月の終わりは、チビ旦那の16才の誕生日があるので
サプライズで二人の友人などを招き
自宅で誕生パーティをしてくれるらしい(*^。^*)
有り難いことだ(嬉泣っ
何にしても一生の中でも、良い思い出になるだろう
この春休みは、
チビ旦那、刺激とスリル満載だろうな~
↓ ポチッと宜しく^^
仕事のキッカケ(1) [保険の勉強]
まずは、何故保険の仕事をし出しのか・・・
経緯おば、、、(^^ゞ
商売を全て止めて、
家財道具も全て処分しk、2歳の息子と母を連れ
妹の居るアメリカに移住目的で渡米し、ジャパニーズレストランをオープンした。
渡米した翌年から移住の条件などが、
かなり厳しくなり、弁護士などにアドバイスを受けながら色んな方法を試みたが・・・
永住許可がどうしても下りず、
やむを得ず、オープンしていたレストランも二束三文で売却し。。。
帰国後の生活は・・・
3年間日本を留守にしたお陰で、、すでに全ての信用もなくなり
一番頼りだった銀行までもが破綻していて、、、
チビ旦那に合わせた時間帯の仕事を選ぼうと生まれて初めての会社勤め(+o+)
ズッと長くオーナーだったので私のプライドは溝に捨てた
・・・とは言っても、身に着いた贅沢癖とズレた金銭感覚、、。
正直、最初は
1ケ月いくら頑張ってもコレだけ(??、、、なんて、よく思ったものだ、。
だが、私は同じ働くのなら色んな仕事をしてやろうと思った。
いずれは小さいながらでも自分の会社を持ちたいと思った。
だから、色んな会社を見るのは必要なのだ!
・・・なんて甘いことを思っていたのだった(^^ゞ
でも、一人の収入で生活もしなくてはならず、
丁度40才を越えた私に出来る仕事なんて何があるのか?
(母上には年金はない(苦笑))
いくら商売を手広くやっていたとは言え
信用すらなくなった私はタダのオバサンである。
まして会社勤めはしたこともないので
会社がどのような所なのかすら分からなかった。
でも、やるしかない ←私はどういうワケかいつもこうである(苦笑)
逃げれない性格なのだ、、(汗っ
帰国先の京都に着き、
まだ家は落ち着かず足の踏み場もない、メチャクチャ状態であったが
私には、もう遊ぶ時間はなかった。
さすがにアメリカを往復した引っ越し代(500万弱)や
レストランなどに使ってしまい、手持ちも乏しい
帰国、1週間目にドキドキしながら
子供の頃以来、初めてバスに乗り、
生まれて初めて職安なる所に行くことにした。
時刻はすでに15時半、早く出ないと。。。
”私にできる仕事なんてあるのだろうか???
今更、子供をお座なりにしてしまう飲食関係だけはしたくないし・・・・
でも、私がこれから生き抜く為にはこれまでの経験を生かしできるのは営業の仕事だろう
事務仕事では親子3人生活もできない・・・”
内心いろんな不安な気持ちをかかえながら目的地の職安についた。
職安の入り口の両側には自転車やバイクで一杯で人ひとり通るのが精一杯だった。
私が入ろうと思うと人が出てくる。
これでは幾ら経っても入ることもできない、時間も余り無い。
ようやく人が途切れ、私は5m先の入り口へ。
少し進んだ所でまた人が出てきた。
何か派手な感じの女性であった。
その人は、入ろうとする私を無視しドンドン前にくる(@@;)
そのうち目の前まで来た。
”なんてアツカマシイ人(怒っ)”←心の声
すると目が合い、その瞬間万遍の笑顔(??;)
「仕事を捜しに来られたんですか?」
”そうに決まってるやろ~ココは職安!”←心の声
「あの~私こういう者なんですが、少しお話をさせていただけませんか?」
それは○○生命 所長と書かれた名刺であった。
私は、正直躊躇した。保険屋さん(;一_一)
”私をスカウトしようとしている(・・;)”
すかさず、
「私、京都へ引っ越したばがりで、知り合いもいないし右も左もまだ分からないんですよ。」
「いえ、いえ、お話だけでも聞いてください^^;」
訴えるような目で私を見つめる(・・;)
そのうち、また出口から人が出てきたので
私達は仕方なく通路を出て歩道に移動した。
京都の道幅は狭い所が多く歩道といってもかなり狭い。
「あそこに喫茶店があります、そこで少しだけお話を聞いてくださいm(_)m
聞いていただくだけでいいです。」
私は、もう職安の残り時間が余り無いことを分かっていたので
つい”明日延ばしでいいか~”っと思い・・・
「お話聞くだけですよっ。」
と言ってしまった。(世間知らずというか、、、甘い考えであった(^^
かくして○○生命のやり手の派手所長に、まんまと捕まったのだ(・・;)
ココから私の保険経験は、始まったのである^^;
ポチっと、宜しく^^ ↓
阪神大震災 [妊娠中]
人間一瞬、死の恐怖を感じた時は
日頃のお金の心配もストレスもスッカリ忘れてしまう。
阪神大震災の日、妊娠8ヶ月。
私の住んでいた所は少し離れてはいたが、それでも震度4.5、、。
一人だったので、さすがにアノ揺れは怖かった。
飼っている熱帯魚の1.5mもある大きな水槽の水が激しく波打ち、
今にも倒れてきそうな勢い、小さな置物は倒れ・・・
後でTVで見ると、神戸ではショックで陣痛が起こり
電気も水もマトモに出ない状態で出産した方々が、
映し出されていたな、、。
同級生達が、沢山いたけど女性は結婚すると姓が変わるから
被害者の名前が連日TVに映し出されていたけど
もしも・・・だったとしても、分からないだろうな、、
取りあえず、親しい人は大丈夫だったので安心した
地震から5日目。妊娠中の大きなお腹をかかえ
神戸で一人くらしのオバを車で迎えにいった。
(後で冷静に考えると臨月に近いお腹でよく行ったものだ(怖っ)
高速道路が使えないので国道を走り被災地に向かう車の渋滞で
普段なら1時間で行ける所なのに7時間くらいかかったと思う(+o+)
妊婦の私はトイレが近く、もちろん店という店はなく、
途中で須磨の海岸近くの駐車場のトイレに寄った。
トイレのドアを開けた途端、、、気絶しそうな光景が目に入った・・。
ココに書き込んでは、余りにもエゲツナイので書き込むことは止めるが、
ともかく、トイレの中はとても、とても入れるような状態ではなかった・・・。
・・・というよりも最後近くに入った人は考えられない勇気の持ち主だと思った
もう夕方近くで薄暗くなってきていたので仕方がなく
物陰で用をたした
繁華街近くに着いた頃はスッカリ日が落ち
街は真っ暗で時々、焚き火をしている人達がいたが、
まるで、空襲の後のようだった。
思い出の一杯詰まった神戸がスッカリ変ってしまってた。
目の前の景色が、
映画のワンシーンのようで 信じられなかった((+_+))
もしも、臨月近い妊婦の状態で、
一人でいる時に直下型の同じような地震があったら、、、
なんて考えたら・・・想像したくもない気分だった(・・;)
でも、
今になってよく考えると、いくら叔母が心配でも
余震云々の時に8ケ月のお腹で迎えにいくなんて、、、無謀だった(^^
ポチっと、宜しく^^ ↓
父親のこと(つづき) [中学校編]
https://blog.so-net.ne.jp/MyPage/blog/article/edit/input?id=31561936
・・・の続きデス^^;
中学校に入学しても、反抗期らしい反抗期もなく・・・
相変わらず、こちらがウザイくらいの仲がイイ親子^^
しかし、チビ旦那は、中学校に入った頃から
私のことをママからオカンに呼び名は勝手に変更していた^^;
少し色気がついてきたかな?w
だが、
私は、話す時
未だ自分の事をママと言うのだが(笑)
適度な距離を保ち、仲良しで
今の所、私の子育ては成功のようであるが、
ヘトヘト状態で毎日のゲームはキツかったが、
予想どおり、一緒にゲームしたのが良かったのかな^^v
同レベルでの知り合いキャラは沢山いるからwww
でも・・・・
そして・・・それは突然来た。
中2になった頃、その時が(T_T)
「なぁ~
オレ、よ~考えたら自分の父親のこと顔も知らんし、何も知らんよな・・・」
真明な顔!!!
{ドキッ~~~!!!(~o~)
ココで動揺してはいけない!
オカンたる者、冷静を装わなくては、、、(汗っ}
毒舌・オヤジキャラのオカンたるもの動揺厳禁!!!(冷汗っ
すまし顔で、
「そうやな、。なんで?聞きたいん?(^。^”)
どうせアンタが20才になった時に全部話そうと思ってるんやけど?」
「なんで、20才なん?今やったらアカンの?」
「・・・どうしても聞きたいの?(^。^”)」 ←内心かなり動揺しているワタシ
「・・・・・。聞きたい、。(ーー゛)」
毒舌オヤジオカン!!!頑張れ!負けるな!←自分で自分を心の中で応援してるwww
「あのな~。
別に言ってもイイけど、今のアンタは本当のこと言ったらショックやと思うよ(^。^”)
だいたい、アンタ、私と、もう何年親子してると思てんの?
ママの性格そろそろ分かる年やわな?
ママは、筋の通らないことは嫌いやわな?分かってる?(^。^”)」
「うん、分かってる(-_-)。」
「ママはアンタのこと、いつも見ているし、一番心配していることも分かってる?(^。^”)」
「・・・うん(+o+」
「そんなママが、アンタを父親のいない子にして平気やと思う?
いつも一生懸命働いてお父さんのいない分まで働いて、頑張ってるやろ?
ズッと見てるから分かるわな?(^。^”)」
「うん、、、(ーー゛)」
「こんなこと今のアンタに言ったらキツイかも知れないけど、
そんなママが、アンタに寂しい思いまでさせても別れる人やで。期待するな!・・・やわな?^^;
細かいこと言わなくても、大きくなったんやから何となくでも分かるやろ?
もしも、全部聞いたら、、、別にママは言ってもイイんよ(^。^”)
・・・でも、ショックを受けたり傷つくのはアンタやで。それでも聞きたいんか?
ママは止めといたほうが身のためやと思うけど?(^。^#)」
「・・・・
・・・・・・・・・そっか、、、(-_-;)
もう、エェわ^^;、やっぱり、20才まで聞くの止めるゎ、(一_一)
今は、まだショック受けたくないし、、^_^」
ヤッタ!しめしめ(^。^”)←私の心の顔。かなりホッとしているwww
「・・・そうか、。そのほうが良いと思うよ^_^;
ママもアンタを傷つけたくないしな。今更、期待するなwww(^。^”)
ほな、その話、20才までお預けということで(^^ゞ
まぁ、余り気にせんとき。両親共いない子もいるんやから
アンタは、ママもバーチンも(私の母上)いるんやし、まだマシ!幸せなもんや(^。^#)
だいたい今時、片親なんて珍しくもないしな。考えるだけアホみたいやで(^。^#)」
「そうやな、、。そうや、。もうエェゎ(^-^」 ←単純っ良くも悪くも私に似てるケド、、、
それからは、一切、今のところ聞かれることはない(^。^)
今度、話す時はチビ旦那が20才になってバイトかなんかのお金で
チビ旦那におごってもらって一緒にBEERでも飲みながら
泣き上戸なフリしょ~~~っと(*^。^*) ←毒舌オカンの楽しい妄想w
・・・・上手くいった!万歳~~ぃ!(^^)!
ポチっと、宜しく^^ ↓