また地震(・・;) [小学校編]
妊娠していた時の阪神大震災のことを書き込んだが・・・
私、 二度目は福岡・・・(一_一)
地震があった日は、学校の体育館で寝た。
確か午前11時前、 福岡県西方沖地震のあった日。
ここの地域ではないと思われていた地震であった。
まぁ阪神大震災もそのようであったのだが(苦笑
私の住んでいるあたりは震度4~5弱だったと思う。
その時、私は仕事中でビルの7階で電話中であった。
電話の営業の仕事をしていた頃だ。
ゆっくりな横揺れ、、、。
ディスクの上のパソコンは落ち、 ロッカーやツイタテも倒れた。
とても長く感じた。 悲鳴を上げる人もいた。
私は、長野のお客さんと話していて商談がヤマ場だったので
冷静を装いながら最後まで受話器を持ったまま机の下に潜り込み・・・
話を決めた(苦笑。
なんせ、親子3人、生活するのに必死なんだから
少々のことで、うろたえているようでは生活なんてできないのだ
我ながら・・・シブトサに笑いが出る^^;
電話を切った時は、地震は終わっていた
普段、気の強い同僚が震えていた
ともかくビルを出ようと階段を使い、一階まで下った。
非常階段は人、人、人。
ビル入り口は、地面にヒビが(・・)
隣の部屋では倒れてきたロッカーで怪我した人も
突然、このような状態になった時、 人は本能的に生命の危険を感じ
日頃の悩みが とても、とてもチッポケに思い、
宗教言葉でいう”生かされている”と感じる。
すぐに、チビ旦那と母のことが心配になった。
3人が3人とも別々の場所にいたわけだから
小学校は都心のド真ん中で自宅のすぐ側。
いざの避難場所にもなる。 もちろん、携帯電話はパンク状態で通じない。
職場は、自転車で5分の所にあったので
すぐに震えが止まらない同僚を自転車の後ろに乗せ、小学校に向った。
(彼女は自宅が遠方だったので)
街はビルから出てきた人で、ごった返していた(・・;)
通いなれた歩道は、所々亀裂や、めくれ上がった所が(@_@;)
小学校には、もう沢山の人が集っていた。
そには母の姿(^・^)。チビ旦那ともすぐに会え、家族の無事を確認^_^;
家の中は、思っていたほどの被害はなく テレビと置物が壊れた程度。
でも、揺れた方向の違いか、耐震性なのか、
足の踏み場もないくらいの被害の家もあったようだった
さすがに、その日は自宅で休む気もせず
小学校の体育館で眠れぬ夜を過ごした。
マット二つに三世帯、。気づけば皆、母子家庭(T_T)
やはり日頃強がっていても、イザの時のオンナ世帯は 不安を隠せない
次の日は、開き直って自宅に帰ったが、 時々余震もあり
一ヶ月くらいは正直、不安であった。
今は、
いつの間にか玄関先においていた非難用リュックも無い。
近所の古い建物で被害があった建物は、 コインパーキングに様変わりしている。
日本は地震大国だ。
どこで起きてもおかしくない、。 どこに居ても同じこと。
今、私の住む所も大きな活断層が真下にあるらしいから、
これがきたら阪神大震災と同じく直下型らしい。
震度7は、まぬがれないという。
直下型は立て揺れになるらしいからまず、立って歩けないらしい。
天災、人災、不治の病、いつ自分に降りかかるか分からない。
でも、人間は天災の前では運を天に任すしかない。
だから、毎日を後悔しないように懸命に生きないといけない。
或る程度のスパンを決めて(目標)生きるのも大事であるが、
まずは、今日一日家族の健康を願い、今日の出会いを大切にしたいと思う。
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