オッサンか? [中学校編]

幼児期の幼児言葉は、とても可愛くて^_^;

色んなオモシロ言葉があったが・・・

3~4才の頃は日本で言う三輪車に、はまっていて学校の休み時間には

よく乗っていた。

ある日、

「ホラ、ホラ!見て~^^! ボク、だいぶん{ニンニク}が付いてきた(^。^)」

「・・・ニンニク(・・? あほっ!それを言うなら筋肉や~^_^;」

 

風邪気味だった時には、

「{ナカミズ}が出すぎて鼻の下が痛い~~~」

「(・・? それを言うなら、{鼻水}や~」

 

そして、高校生になったこの間・・・

「オタクの人が好きなアキバハラって、色んな電化製品が売ってるんやな~」

「アホっ!(+o+) それを言うなら、秋葉原や~」

「そっか~^_^; まぁオカンのAKB48をRKB48と同じようなもんやなwww」

確かに[あせあせ(飛び散る汗)]さすが親子ってとこか・・・(苦笑 

 

チビ旦那、中学生になった頃、

時々、超天然の母上に口ごたえするようになった。

世に言う反抗期時期だからな、。

我が家の母上、ヒステリックに感情をそのまま出すので知らず知らずに

右から左に聞き流す特技を身に着けたようで。

・・それって中年のオッチャンやん^_^;

まぁ確かに、まともに聞いてたら身が持たんわな、、。

大人になってヤヤコシイ人間関係にも、その特技役立つ?かもね(苦笑

 

ともかく母上は、人の気持ちを考えることなく

その時々の感情でモノを言うのでチビ旦那からすればウザイ時があるようで[あせあせ(飛び散る汗)]

ある日、中学校から帰宅したら、いつもリビングにいる母上がいない。

風邪で自分の部屋で休んでいたのだ。

私がそれをチビ旦那に言うと、母上の部屋に行き

「何してんねん[exclamation]布団チャンとかぶって寝ないから、風邪引くんや~アホか[ダッシュ(走り出すさま)]」 

・・・まるで長年連れ添った老夫婦の亭主関白の旦那が言うようなセリフ[目][あせあせ(飛び散る汗)]

母上「もう・・・シンドイんやから、、。そんなこと言うと死んでしまうゎ、。」

「アホっ[exclamation]何が死んでしまうや[ダッシュ(走り出すさま)]

 今、死んだら葬式代ナイから死ぬなよな[ダッシュ(走り出すさま)] そんなこと言うな[exclamation]アホか[exclamation]

 

・・・・・確かに(T_T[たらーっ(汗)])そりゃ、そうだけど、。

その言いプリ、思わず笑ろたw

素直でない言い方だけど、めイッパイ心配してるんだろうな~

まぁ、良しとしとこ^_^;

 

ポチっと、宜しく^^ ↓

       人気ブログランキングへ


タグ:言葉
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

オカン流 英才教育 [幼児期編]

 

チビ旦那が幼稚園のある日、

救急24時?みたいな番組を見ていた時のこと。

 

採石場の現場で、竹ぼうきでベルトコンベア辺りを掃除していたオジサンが

何かの拍子に片腕をベルトコンベアーの巻き返しの所に腕根元まだ挟んでしまい、、、

レスキューが出動。

大きな救急病院に運ばれ、本当は片腕切断のところ、

たまた優秀な医者がいたので切断は免れた、。

 

その腕を挟まれた場面を二人で見ていたのだが・・・、

余りにも痛々しく残酷であったため、私もチビ旦那も固まってしまい、、[あせあせ(飛び散る汗)]

 

「怖いな~、他のチャンネル見よか・・・^_^;」

すぐにチャンネルを変えたが、他にチビ旦那と一緒に見るような番組もなく、

少しして、もう終わっているだろうと思い、またそのチャンネルに変えた。

すると、

オジサンが、優秀な医者の手術により腕は縫合され

リハビリをし、手は殆ど元に戻っていた。 

 

 その頃は、毎日といって良いくらい仕事から帰ると

一緒にファミコンしようとチビ旦那が手グスネ引いて私の帰りを待っているので

ヘロヘロになりながら、コミニュケーションしたものだ^。^[たらーっ(汗)]

まずは、

帰宅後、一緒に食事をし、お風呂に入り湯船に浸かっている間は

足し算・引き算を教えた。手の指で遊びながら、のぼせない程度に(^^ゞ

 それから、

ファミコンゲームの時間が始まる・・・また、ひと仕事だ(T_T[あせあせ(飛び散る汗)]

そんな日常を過ごしている私だから、この場面オカン心に火がついた(苦笑

この場面を逃すわけがない[るんるん]カッカッカ~

 

「怖かったね~。でも、このオッチャンの腕、元に戻って良かったね~(^。^)

   でも、このお医者さんが居なかったら、多分オッチャンの腕なくなってるよっ。

 オッチャン油断したから痛い目にあったケド、大切な仕事だから仕方がないよね。

  アンタは、このオッチャンみたいな危ない仕事と、

        このお医者さんみたいな仕事と、どっちの仕事したい?」

 

・・・こんな残酷で痛々しい場面を見た後だから、

誰が考えても答えは、{お医者さん}て言うわなwww

 

「ボク、腕挟まれるのイヤやから、このお医者さんみたいな危なくない仕事したい[ひらめき]

 

「そうやわな。誰でも、そう思うと思うよ(^^

 でも、危ない仕事、仕方なしにしてる人も沢山いるんよ。

 したくなかったら、一生懸命勉強して危なくない仕事するしかないな(^^”」

 

「うん、分かった(^。^)。 ボク危ない仕事イヤやから勉強するゎ[るんるん]

 

・・・シメシメ(^。^) はまった[るんるん]

こんな繰り返しをしながら育ててきたが・・・。

本当の結果は、大学入試だな~

 

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

受難の時代? [ひとりごと]

 

ようやく少し歩き、ハイハイと半々くらいで過ごすようになった頃

TVのオモシロ?ドッキリ?ビデオ投稿の番組を見ていた。

丁度、チビ旦那と同じ年くらいの子供が何かの拍子に驚いて大泣きの場面があり

大人目線では、それが可愛くてホンワカするようなビデオだったのだが、

それを一緒に観ていたチビ旦那は、

画面の中の子供と同じように大泣きし出した[目][あせあせ(飛び散る汗)]

 

子供って大人が思っているより過敏なんだ・・・同調するんだ、。 

 

私は漫才や吉本新喜劇のような関西のお笑いが好きなのだが、

TVを見ていて感じることがある。

 

 

今のバラエティ番組には、

人がヘマをしたり、罰ゲームみたいな感じでキツイことをさせているのが常

幼い子供なんかだったら、人の不幸を皆で笑っていると感じるだろう、、。

大人は普通にそれを見て笑っているのだから、、、(・・;)

大人ジョークでは問題ないのだが、。

 

子供目線では・・・

大げさではないが、イジメを助長するような影響力が

そこに働いているのではないのだろうか?

格闘ゲームにも言えることではあるが・・・

そんな、こんなを考えると

現代は子供受難の時代なのかも知れない[あせあせ(飛び散る汗)]

 

ポチっと、宜しく^^ ↓

       人気ブログランキングへ


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

エゲツない! [ニュースから]

 

【2月12日 AFP】世界報道写真財団(World Press Photo)が選ぶ「2010年世界報道写真大賞(World Press Photo Award)」に、南アフリカのジョディ・ビーバー(Jodi Bieber)氏が撮影した、結婚先から逃げ出した罰として耳と鼻をそぎ落とされたアフガニスタン女性ビビ・アイシャ(Bibi Ayesha)さんの肖像写真が選ばれた。同財団が11日発表した。

 紫色のスカーフを身につけた当時18歳のアイシャさんの肖像写真は、前年8月1日の米タイム誌(Time Magazine)の表紙に初めて掲載された。アイシャさんは、アフガニスタンの旧支配勢力タリバン(Taliban)のメンバーに、夫から逃亡した罪に対する罰として、耳と鼻を切り落とされた。

 この写真を大賞に選んだ理由についてデービッド・バーネット(David Burnett)選考委員長は、声明で「『ほら、あの少女の写真だよ』と言うだけで相手に通じるような、一生に10枚ほどしか出会えない一枚になり得る写真だ」と説明した。

 この写真は、「ポートレート部門」も受賞した。

■AFPカメラマン2人が入賞

 今年の賞では、AFPカメラマンのOlivier Laban-Mattei氏とChristophe Archambault氏も入賞した。

 Laban-Mattei氏は、2010年1月のハイチ大地震の写真シリーズで「一般報道部門」を受賞した。代表的なものに、病院の遺体安置所の遺体の山に子どもの遺体を投げ入れる男性を映した写真などがある。

 一方のArchambault氏は、インドネシア・ジャワ(Java)島東部のブロモ(Bromo)山の噴火をとらえた写真シリーズで「自然部門」の3位に輝いた。

 世界報道写真財団によると、今年は125か国・地域の写真家5847人から、過去最高となる10万8059枚の写真が出品された。(c)AFP

【関連記事】
タリバン兵の夫に耳と鼻を切り落とされた女性、米で回復手術へ
2009年世界報道写真、大賞にイラン大統領選に抗議する女性

 

 

・・・・エゲツなぁ、、、(゜o゜)[あせあせ(飛び散る汗)]

タリバンか、。

こんなの日本であったら削ぎ落とされる人、いっぱいいるだろうな。

 

それにしてもエゲツない信じられないことするなぁ・・・

人間って、ホント残酷[たらーっ(汗)]

 

ポチっと、宜しく^^ ↓

       人気ブログランキングへ

 

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

心の貧困 [ひとりごと]

 

 

少年の凶悪な犯罪が報道されるたび、私は思い出す人物がいる。

永山則夫
19歳で連続殺人を犯した死刑囚


獄中で初めて色んな書物を読みあさり本来の自分に気づいたようではあったが

 

犯した罪は消えるはずもなく、獄中から執筆活動を始め

諸々の著名人の知り合い等が中心になり死刑からの減刑を求め

 

署名運動も行ったが結局は死刑執行となった。


 

彼の著書「無知の涙」を読んだのは私が20代前半の頃だった。

 

それは日記風になっていて彼の心の変化がよく分かる。

極貧の生い立ちと世の不条理を自ら生きた告発獄中ノート。

私の記憶の中に本の中で強烈に残っている詩がある。

 

 

・・・「無知の涙」 著者 永山則夫 より抜粋・・・

 

9月17日

おおき過ぎて見えない神は言った

  「こりゃ 凶悪犯よ 汝が仕出かした事々
      悪いと思ってい居るのかや 申してみ
         頭を上げるな 下げたまま申してみ」


凶悪犯は構わず頭を上げた

  「あんたが神という奴か 一度
     一度会いたかったぜ おっさん
    質問に答えてやろうか

      
   悪いと思ってはいないぜ 第一番に言う
    あんたに裁く権利はないぜ

   あんたを信じた為にこうなった
    それでも裁くというのならー


   俺の育ってきた一日でも
    あんたは見たのかよ おっさん

   神と名乗るくらいなら 分かるな
    俺の罪と 育った一日でも較べて見ろ


   ・・・答えてみろよ えっえ!
       答えられねぇだろうよ
   さっきの威丈{偉}高振りはどうした
   ・・・どうした おっさんよ・・・


   いいか答えさせねえ!俺が!
    あんたと俺は生きる世界が違うんだ

   あんたは あんたと人間に差別を作った
    俺の純粋なる良心は差別の無い世界の物だ


   あんたは自分を何だと思ってんだ 言ってみろ
   ・・・まぁ待てよ 人の名前を聞くまえに何とやらだ

   俺は殺人者だ   えばれた者じゃねえ
      だがよ・・・あんたよりましだぜ


   あんたは精神界一番の無責任者だ
    何をやっても 仕出かしても 黙って黙って
            見てきて こうなって言いやがるが
   俺は違うぜ・・・責任とるんだ


   誰にも頼んだ訳じゃねえのによ
     生みやがって 生きやがってよ!
 
   俺は責任とるんだ!!
           俺は責任とるんだい・・・・・」


凶悪犯はそれっ切り言わなかった

神は無表情のまま聞いていて力なく頭を下げる凶悪犯に言った


「言う事はそれだけか」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

とてもやるせなく切ない詩である・・・。

私は現在、凶悪犯罪を犯した少年達にも多かれ少なかれ

 

このような心情が隠されている気がしてならないのだ。

 

でも、大きな違いは生活での極貧ではなく、心の極貧ということ

絶対的な信頼を親に向けるのは本来の子供の姿であるが、

 

信頼できるはずの親に裏切られた時、子供は人を信じれなくなる。

そのままの感情のまま大人になってしまったら・・・。

 

親の正当な理由が有る場合は大人になった時点で

 

子供も理解し、ある程度の信頼関係が戻るにせよ、

人に対して疑心暗鬼になるのは仕方がないと思う。

世の中に反抗的になるのも仕方がないと思う。

 

本物の愛情を知らず育ったのだから。

これは私の想像だけではなく、

 

私の周りにこのような若者が沢山いたから言えることなのだ。

もう心の更生すら難しい子もいた・・・。

 

だから、

 

それは子供の責任だけではなく親にもあるということ。

そして、その親の親にも責任があるということ。

親のいない子なんてこの世に一人も存在しないのだ。

これから格差社会の進む中、

 

生活の極貧と心の極貧とが交じり合う世の中が間違いなく来るだろう。

 

悲しいかな、、、自己防衛も必要ではあるが、

 

大人達は心が貧しくならないように意識し、生きなければならないと思う。

大人の背中を見て育つ子供たちへのささやかな餞(はなむけ)

 

ではないのだろうか・・・。

強いてはそれが未来を背負う子供たちの為でもあるのだ。

 

ポチっと、宜しく^^ ↓

       人気ブログランキングへ

 

 


・・・私の説明だけでは説明不足と思うので以下Wikipediaより抜粋して記載する。

 


永山 則夫

・・・生い立ち・・・

1949年6月27日、北海道網走市呼人番外地に、
8人兄弟の7番目の子(四男)として生まれる。
博打に明け暮れる父親の放蕩生活によって、
家庭は崩壊状態であり、現在で言うところの(*)ネグレクトの犠牲者であった。
                         (*)下記参照

1954年(当時5歳)に、母親が則夫を含む4人兄弟を網走の家に残し、
青森県板柳町の実家に逃げ帰ってしまう。

残された則夫を含む4人兄弟は屑拾いなど
極貧生活に耐えてギリギリの生計を立てたものの、
1955年に、4人を見かねた近隣住民による福祉事務所への通報をきっかけに、
板柳の母親の元に引き取られた。

1965年3月、板柳から東京に集団就職する。
上京後は職を転々とし、どこも長続きしなかった。

 


・・・ 連続射殺事件・・・

米軍宿舎から盗んだピストルで、1968年10月から1969年4月にかけて、
東京、京都、函館、名古屋で4人を射殺し、
いわゆる「連続ピストル射殺事件」(広域重要指定108号事件)を引き起こす。

この事件は
1965年に起こった少年ライフル魔事件に刺激されたのではないかという見方もある。

1969年4月(当時19歳10ヶ月)に東京で逮捕された。
1979年に東京地方裁判所で死刑判決。
1981年に東京高等裁判所で無期懲役に一旦は減刑されるが、
1990年に最高裁判所で、「家庭環境の劣悪さは確かに同情に値するが、
「彼の兄弟たちは凶悪犯罪を犯していない。」
として、死刑判決が確定する。

 


・・・ 作家として・・・

獄中で、読み書きも困難な状態から独学で執筆活動を開始し、
1971年に手記『無知の涙』、『人民をわすれたカナリアたち』を発表した。
この印税は4人の被害者遺族へ支払われ、
そのことが1981年の高等裁判所判決において情状の一つとして考慮され、
無期懲役への減刑につながった。
(のち差し戻し審で死刑判決、最高裁による上告棄却により90年に死刑確定)

1983年には小説『木橋』で第19回新日本文学賞を受賞した。

1990年には、
秋山駿と加賀乙彦の推薦を受けて日本文藝家協会への入会を申し込むが、
協会の理事会にて佐伯彰一、杉森久英など理事の一部が、
永山が殺人事件の刑事被告人であるため入会させてはならないと反対した結果、
入会が認められず、それに抗議した中上健次、筒井康隆、柄谷行人が、
日本文藝家協会から脱会するという出来事も起こった。
その一方で、1996年、ドイツ・ザール州作家同盟への正式入会を果たしている。

獄中から手記や短歌を自ら発表する死刑囚は多い。
しかし、自らの罪を認める一方で、
自己の行動を客観的にふりかえるという手法で創作活動を行い、
文壇において一定の地位を獲得するまでに至った永山は、
死刑囚としては珍しい存在といえる。

 


・・・ 処刑後・・・

1997年8月1日、東京拘置所において永山の死刑が執行された。
享年48。全国新聞はいずれも当日の夕刊の第一面で報道。

生前、永山は知人に
「刑が執行される時には全力で抵抗する」と述べていた。
実際に処刑の際、永山が激しく抵抗したとする複数の証言がある。
このため、永山の死体は拘置所内で即座に火葬されたと言われている。

永山の死刑執行については、
執行同年6月28日に逮捕された神戸連続児童殺傷事件の犯人が少年(当時14歳11ヶ月)
であったことが、少なからず影響したとの見方も根強い。
少年法による少年犯罪の加害者保護に対する世論の反発が高まる中、
未成年で犯罪を起こし死刑囚となった永山を処刑する事で、
その反発を和らげようとしたのではないか、とマスコミは取り上げた。

永山の告別式は東京都文京区の林泉寺で行われ、
喪主は東京高等裁判所における差戻審、
差戻後上告審で弁護人を担当した遠藤誠弁護士が務めた。

永山の遺言により、
遺灰は故郷の海であるオホーツク海に、遠藤の手によって散布された。

死後、弁護人たちにより「永山子ども基金」が創設された。
これは著作の印税を国内と世界の貧しい子どもたちに寄付してほしいとの、
永山の遺言によるもので、
貧しさから犯罪を起こすことのないようにとの願いが込められている。

 

 

*ネグレクト

ネグレクト (neglect) とは、
本来英語で「無視すること」を意味するが、
日本では主に保護者などが子供や高齢者・病人などに対して、
必要な世話や配慮を怠ることを指す。児童虐待、高齢者虐待のひとつ。

 

特に幼児や児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食、
又は長時間の放置、その他の保護者としての監護を著しく怠ることを指す場合が多く、
育児放棄(いくじほうき)ともいう。

積極的ネグレクトと消極的ネグレクトの2つに分けられる。

前者は、親に養育の知識や経済力の不足など、
子供を育てられない明確な理由がないのに育児を放棄することであり、
後者は、親の経済力が不足していたり、精神的疾患を抱えている、
知的な障害がある等の理由で育児ができないことを指す。

日本では刑法第217条の遺棄・第218条の保護責任者遺棄等
・第219条の遺棄等致死傷の上で扱われ、
放置された側がそれで負傷ないし死亡した場合に、
その放置を行った側が処罰される対象となる。

例えば、過去の事例では以下のようなケースが典型的である。

・病気になっても病院に受診させない
・暑い日差しの中、駐車場の車内への放置
・日本でも3~4月の天候下で熱中症による死亡事例も発生している。
・防寒に充分な着衣を着けさせず、寒冷な外気に晒す
・過去には冬季に濡れた下着だけで
  アパートのベランダに放置された児童が低体温症で死亡した事例がある。
・充分な食事を与えない
・下着など不潔なまま放置する
 
また日本では義務教育制度があるが、
就学年齢に達した児童を学校にも通わせずに、
自宅などに軟禁状態とみなされてもおかしくないように
放置することも広義では育児放棄とされる。

その際に、該当する被保護者が保護者以外に頼れる相手が社会に居ない場合は、
他に行く当てが無いために、その状況から逃げ出す事も出来ないので、
実質的な監禁状態であるともみなされる。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

サル山 [小学校編]

 

小学校とは目と鼻の先なので 

お陰様で小学校の間、我が家は下校途中の休憩場?みたいな状態になってしまい

トイレだけ入って帰る子や、少し学校が早く終わると

まっすぐ帰らず、ランドセルのまま遊びに来たりの子もいた、。

頻繁にチョッと寄るので、

皆遊びに来やすくなるのか?遊びにくる人数も半端ではなく、、、

チビ旦那の知らない所で友達同士が勝手にウチで集合とか[あせあせ(飛び散る汗)]

クラス替えしたら微妙に下校時間が違うので友達の方が早くウチに着き

勝手にチビ旦那の部屋で遊んでいたり[あせあせ(飛び散る汗)]

休日なんて多いときは6~8人(+o+)

身体が小さいからイイようなものの・・・それにしても[あせあせ(飛び散る汗)]

小学低学年なんて、まるでサル山だった^_^;

 

少し目を離すとケンカをする子もいたので

休日は、子供たちがケンカをしないよう統率するために

私、サル山の親分になるしかなかった、、、(;_;[たらーっ(汗)])

 

「誰?今ケンカしているの[exclamation&question]

ココの家は、ケンカする子は退場[exclamation×2] 

帰りなさい!ケンカしてまで遊ばなくてもヨロシイ[exclamation]

 

チビ旦那の友達は活発な子が多かったので、

先生も遊びに来るメンバーの名前を聞き、どうやって狭い部屋でケンカさせず

言うことを聞かせているのか?

不思議がってたが、今から考えても

結構子供たちは、大人が考えているより成長してるし、シッカリしてたよ^_^;

子供を子供扱いすると、子供は、

{自分は子供なんだから、まぁイイか^_^;}

とか、

{子供だと思っているから知ら~ない(^。^)}

なんて、内心思って大人の言葉には{知らん顔・無視}しているようだ(苦笑

同じ目線で対等に話すと

結構、子供なりに理解しようとしてくれるのにな・・・

 

中学校入学で校区の中学校へ通う子と中高一貫校へ進学する子に別れ、

高校でもまたバラバラになり・・・でも、未だ時々遊びに来る子もいるが、

私には気さくに話すし、学校でのことなんかを話してくれる。

チビ旦那と私に会いに来るのだな^^

身体が大きくなって、男らしい雰囲気になっても可愛い^_^;

 

サル山の親分、健在ってとこかなwww 

 

 

ポチっと、宜しく^^ ↓

       人気ブログランキングへ


タグ:会話
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

悲しい事故 [ニュースから]

深夜の地元ニュースで

16才の高1男子2人が飲酒運転の車にはねられ

1人死亡、1人意識不明の重態の事故があった[たらーっ(汗)](夕方のニュースでは亡くなられた[たらーっ(汗)]

PM11時過ぎ・・・

塾も11時頃までの所もあるようなので、帰りだったのか?遅い・・・(T_T)

高1といえば、我が家のチビ旦那と同じ年、。

住所からして少し田舎のほうで

道幅もそんな広くないようであるから、

きっと薄暗く制服も黒っぽいので気づかなかった?酔って気づくのが遅れた?

 

それにしても・・・・・

あぁ・・・可哀想、、、なんてことを、、、、(._.[たらーっ(汗)])

制服ということだから家を出るときに「行ってきます!」が最後の言葉?

・・・想像しただけで涙が出てくる、。(;O;)

 

他人事ではない・・・、これからだという年なのに、、、

夢も可能性も人生も全て、全て奪われたのだ・・・・・

言葉が出ない、、、{ご冥福をお祈り致します}なんて簡単な言葉、

心情としては親としては言われたくもないであろう、。

気が狂いそうになっているに違いない、。

あぁ・・・不憫で可哀想で言葉も出ない・・・・・ 

 

飲酒運転もこれだけ、うるさく言われ取締りも厳しくなっているのに

未だ後を絶たない[あせあせ(飛び散る汗)]

交通事故は、これだけ車社会になっているのだから

いつ巻き込まれてもオカシクないのだな(-_-;)

事故を好きで起こす人だっていないはず・・・

 

我が家の周りの道路も車の往来は半端ではない。

小学校低学年の子供は大きなランドセルを背負い

ラッシュ時の自転車の行き交う狭い歩道を登下校している[あせあせ(飛び散る汗)]

 

私は、福岡で家を捜す時に通勤に便利で時間がかからず

少しでも学校の環境の良い所を尋ね、

学校の校区内で家を探し、少しでも小学校の近くの家を選んでいたので

家から学校までは5分。

それでも、子供は急に道路に飛び出したりフラフラ歩くので

自転車の往来の多い歩道は心配であった、、。

元来、私は心配性なんだと初めて気づいた[あせあせ(飛び散る汗)]

 

毎日、無事で過ごせたことに感謝せねばならないと

つくづく思うのであった。。。

 

ポチっと、宜しく^^ ↓

       人気ブログランキングへ


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

言霊 [小学校編]

小学校の低学年の頃、何故かショボくれて帰ってきた。
私は何気に

「今日の学校どうだった?楽しかった?」

「・・・・・(';')」

「今日は友達と遊ばないの?」

「・・・うん。。。( 一一)」

「何かあったんだね。どうした?」

「・・・○○君に”ぶっ殺す”って言われた・・・」

○○君はよく遊んでいる子である(+o+)[あせあせ(飛び散る汗)]

落ち込んでいるチビ旦那を何とか言い聞かせ、友達が使うからと言って

そのような言葉は絶対人に使わないように念押しで教えた[ダッシュ(走り出すさま)]

私達の住むこの校区は、

生徒の半分は私立の中学校に進学するくらい教育熱心な親の多い所。

でも、○○君のお母さんが子供を叱るのに確か

”ぶっ殺すよ!”と言っているのを聞いたことがある・・・

さすがの私も”ヘッ?嘘~(・・;)”だった記憶があるのだ。

勿論、本気でないしろ、良い言葉でないし、大人でも使わない言葉。

ましてや我が子に・・・私は耳を疑った[あせあせ(飛び散る汗)]

私がお上品でないにしろ・・・チビ旦那は、そのような言葉を浴びせられたことがないのだ。

余程カルチャーシッョクだったんだろう。


父親であれ、母親であれ人前ではお上品を繕っても

子供は日頃親が使う言葉を自然に使うようになる。

親がやっていることや価値観が自然と身につく。



言霊という言葉があるが、下記参照してください(^^ゞ

(Wikipediaより)


言霊(ことだま)とは、

一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。


日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。


と、されていた時代もあったのに、、、悲しいことである。


今時の子供はとか、若者は・・・とよく耳にするが、

責任があるのは本当は大人側なのである。

そして、無責任なメディアも多い・・・[あせあせ(飛び散る汗)]


 

 

元気のない時こそ笑い、マイナス言葉は意識して使わない。

言霊を意識して言葉を発する、試してみる、信じてみても良いのではないのか?




そうそう、思い出した。

久しぶりに電車に乗った時のこと。


とてもローカルな線なので2両しかない。

本数も少ないので車両の中の空席は二人掛けの一人分が空いているか、

入り口近くの一人掛けの席しか空いていない。

私は入口近くの一人掛けの席に座り弟はつり革を持って立っていた。

私達が、一言二言話し出した時に

二人掛けに一人で座っていた40歳くらいのサラリーマン風の男性が

「こちらの席と変わりましょう、どうぞ^^」

「いえ、大丈夫ですよ。」

「どうぞ、どうぞ^^」

「そうですか?ありがとうございます^^」


結局、席を替わってもらったのだ。

「優しい人やなぁ~」

「ホント、ホント♪」


私達は電車を降りる時にもう一度、

「ありがとうございました^^」

「いえ、いえ^^」


単純な出来事であったが、見知らぬ人のさり気ない優しさが嬉しかった。

でも、良く考えると彼も一日とても良い人で過ごせるのだ。

結局は、お互いが幸せなのだ♪

「ありがとうございました。」

っと知らない人に言われて悪い気がする人はいない。

自分に少しの思いやりや優しさがあればいいのである。



そうかと思うと、歩道に突然、

飛び出してきた自転車にぶつかりそうになりヒヤリ!(**)

いい年のオジサンだったが”ゴメンナサイ”も”スミマセン”もなく

知らん顔して行ってしまった。

本当に何も思っていないのだろうか?

もう会うこともない私だから、どう思われようといいのか?

でも故意ではないとは言え、少なくともこのオジサンは私を不愉快にした。

本当に、あと少しでぶつかりそうになったのだ。

同じ一時的な出会いであれ、この二人は大違い。

確かに人間だから機嫌の良い日、良くない日があるにせよ

  「ゴメンナサイ」
      と
  「アリガトウ」

は言わないと・・・・これは親子兄弟でも言えることで。

単純なことであるが、だから大切なのである。


>日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。


今こそ、

「言霊の幸ふ国」に戻らなければいけない時期に来ているのではないのだろうか?

 

ポチっと、宜しく^^ ↓

       人気ブログランキングへ

 

 




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(Wikipediaより)

<言霊>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

言霊(ことだま)とは、

一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。言魂とも書く。

清音の言霊(ことたま)は、
森羅万象がそれによって成り立っているとされる五十音のコトタマの法則のこと。
その法則についての学問を言霊学という。


<概要>

声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、
良い言葉を発するとよいことが起こり、
不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされた。

そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。
今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。

日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。

『万葉集』(『萬葉集』)に
「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」(「志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 真福在与具」 - 柿本人麻呂 3254)

「…そらみつ大和の國は 皇神(すめかみ)の嚴くしき國
         言靈の幸ふ國と語り繼ぎ言ひ繼がひけり…」
(「…虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継
             伊比都賀比計理…」 - 山上憶良 894)との歌がある。


これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。

漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、
例えば事代主神が古事記では「言代主神」と書かれている箇所がある。

自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、
それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。

例えば古事記において倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出合ったが、
倭建命はこれは神の使いだから帰りに退治しようと言挙げした。

それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに逢い亡くなってしまった。

すなわち、言霊思想は、
万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、
心の存り様をも示すものであった。


タグ:言霊 礼儀
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

好き嫌い [幼児期編]

 

我が家のチビ旦那、卵がキライ[あせあせ(飛び散る汗)]

 

以前TVで、リンゴの好きな犬がいて(・・?

ムツゴロウさんが言ってたけど、

人間の子も動物の子も離乳食が始まった頃に口にするものが

好物になるらしく、この犬はその頃リンゴの味を覚えたとか。

 

チビ旦那の離乳食が始まった頃、それを知っていた私は

子供がキライになりそうなニンジン・タマネギなどを離乳食によく使った。

添加物は一切使わず、離乳食は全て手作り。

そうかといって一回、一回作るのではなく一度に沢山作って

空いたプリンやヨーグルトの容器に入れ(丁度1回分になる)

冷凍させて、その度にレンジでチンして食べさせる。

ニンジンやオニオンスープ・具沢山シチュー・ベビーカレー・おじや等など

薄~く味をつけて作る。

 

卵も食べさせていたと思うのだが[あせあせ(飛び散る汗)]

余り意識していなかったな、、、まさか、キライになるとは(T_T)

 

そういえばインド料理店の香辛料の沢山入ったカレーも好きだな~

アメリカは多国籍移民が多いので、あらゆる国のレストランがある。

私が香辛料が効いた食べ物が好きなので 

チビ旦那、2~5才まで色んな国の色んな香辛料の入った料理食べたせいかな?

 

そして、癖のある納豆・・・ 私自身余り好きではないのだが、。

納豆は、妹の子供の一番上の子が好きで、

渡米した時に覚えたのだった。(アメリカで納豆っ(笑っ)

アメリカでは、冷凍の納豆しかないのでレンジで1分ほどチンして食べる。

 

帰国した時に、初めて普通の納豆を食べたチビ旦那の第一声が

「この納豆、冷たい!チンして~。」 だった[あせあせ(飛び散る汗)] 

生ぬるい納豆が普通だと思っていたようだ(T_T)

 

今も納豆は大好きで、小腹が減ったら冷蔵庫から納豆を出し

ゴハンにかけて食べている(^^ゞ

 

小学校の初めての歓迎遠足では・・・

「あのさ~。明日のお弁当の中に納豆入れて(^。^)」

弁当に納豆なんて、、、(汗っ

でも、余りにも言うので弁当とは別に容器のまま納豆を持たせたのだった、^_^;

おそるべし!幼い時覚えた味覚・・・

 

ポチっと、宜しく^^ ↓

       人気ブログランキングへ


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

アホみたい [ぼやき]

【2月8日 AFP】インドネシアの中ジャワ(Central Java)州で8日、イスラムを冒とくした罪で有罪となったキリスト教徒の男に死刑を求める群衆が、2か所のキリスト教会に放火し、警官隊と衝突した。同国では、6日にも暴徒化したイスラム教徒がイスラム教の小宗派信徒らを襲撃して殺害する事件が起きたばかりだ。

 イスラム教を中傷するチラシを配付した罪に問われた裁判で、アントニウス・バウェンガン(Antonius Bawengan)受刑者(58)は同罪の最高刑となる禁錮5年の有罪判決を言い渡された。

 しかし、この判決が軽すぎると抗議する群衆約1500人が裁判所前に集まり、警官隊と衝突した。群衆は警官隊に投石を行い、警官隊は催涙弾や威嚇射撃で応じた。群衆は裁判所前で「殺せ!殺せ!」と叫び、「燃やせ!燃やせ!」と叫び、教会に火を放った。

■6日にも宗教からむ集団リンチ事件

 インドネシアは世界最多のイスラム教徒が暮らす国だが、6日にも暴徒化したイスラム教徒による集団リンチ事件が発生したばかりで、インドネシア政府に対応を求める声が高まっている。

 事件があったのは西ジャワ(West Java)州。イスラム教の小宗派「アフマディア(Ahmadiyah)」の信徒らが群衆に襲撃された。

 アフマディア派は、預言者ムハンマド(Mohammed)ではなく同宗派の開祖であるミールザー・グラーム・アフマド(Mirza Ghulam Ahmad)師がイスラム教の最後の預言者だとする宗派で、2008年にインドネシア政府に布教を違法化されている。

 群衆による集団リンチはビデオに収録されており、群衆は、なたや棒、石を手に「アラーは偉大なり」と叫びながらアフマディア派信徒に襲いかかり、警官の目の前で、石や棒で暴行して殺害した後も暴行を繰り返した。

 この事件で、アフマディア派信徒3人が死亡、5人が重傷を負い、2人が行方不明となっている。国際人権団体は、群衆による殺害を警察が阻止できなかった原因の即時調査を求めている。

 インドネシアの憲法は信教の自由を保障しているものの、イスラム保守派の圧力を受けてインドネシア政府は2008年にアフマディアの布教を禁止した。これに対して複数の人権団体が、自警団による暴力に法的根拠が与えられてしまったとして、布教禁止の即時撤回を求めている。

 また、活動家らは、インドネシアのスルヤダルマ・アリ(Suryadharma Ali)宗教相が、アフマディア派の信徒らがイスラム教を捨てれば安全になれると語ったことに対しても批判している。アリ宗教相は前年にも、アフマディアの全面禁止を訴えていた。(c)AFP

 

 

・・・何を信じていも自由だけど。

こんなことして信じている神?が喜ぶとでも?

宗派の壁よりも自分の愚かさ知れ!だゎ、、、

 

人として最低(ーー゛) 神を信じるモノが・・・しないでしょ?してはいけないでしょ?

 

やっぱり成長には、

自分が自分を冷静に観れないと進歩しない気がするな、。

大人同士のくだらない争いを子供たちは見て育つのに・・・

くだらな過ぎる、宗教戦争なんて・・・。

愚かだな、、、(-_-;)

 

 

ポチっと、宜しく^^ ↓

       人気ブログランキングへ


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。